【歴史人物と犬】西郷隆盛が愛した犬たちの秘密とその理由
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西郷隆盛ってどんな人?
そもそも西郷隆盛とはどんな人物だったのでしょうか?
最初に彼の功績について紹介します。
薩摩藩のリーダー格
西郷隆盛は、幕末期に現在の鹿児島県にあたる薩摩藩生まれです。
薩摩藩の中でもリーダー格に値する人物でした。
同じく薩摩藩の大久保利通とともに、倒幕に向けて活躍しています。
1866年に薩長同盟を締結したり、戊辰戦争では、信頼していた勝海舟と話し合って総攻撃を止めました。
かの坂本竜馬は西郷隆盛を「大きくたたけば大きく響き、小さくたたけば小さく響く、もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だ」と評価しています。
徳川幕府を倒して明治新政府の成立に貢献した
そんな薩摩藩のリーダー西郷隆盛は、徳川幕府を倒し、明治新政府の成立に大きく貢献しました。
そのため、幕末維新の象徴的な存在として多くの人に知られています。
1937年には、西郷隆盛没後50年を記念して鹿児島市城山町鹿児島県に銅像が建てられました。
鹿児島県には、鹿児島県霧島市の鹿児島空港の近くにも西郷隆盛像があります。
これは、没後100年を記念して作られました。
また、新政府軍として攻め込んだ土地である東京都上野公園にも銅像があります。
こちらの銅像は鹿児島県にある銅像とは異なり、西郷隆盛像の隣に可愛らしい犬の銅像も建てられているのが特徴です。
なぜ、犬も銅像になっているのでしょうか?
西郷隆盛は愛犬家としても有名だった
実は、西郷隆盛は愛犬家としても有名でした。
多いときには10匹以上の犬と暮らしていた時期もあったようです。
当時の日本は、犬をペットとして飼う人はごく少数派で、狩猟目的で飼育することがほとんどでした。
そんな中、西郷隆盛は愛情深く犬と接しており、うなぎ屋でこっそり犬にうなぎや鶏鍋を食べさせたというエピソードもあるんですよ。
さらに、西南戦争で食料事情が厳しい時期も、西郷隆盛は自分の食事を犬にあげていたくらいなので、犬に対する愛情は人一倍あったと言えるでしょう。
そんな西南戦争では、敗戦が濃厚でした。
しかし、西郷隆盛は「犬だけは助けたい」と首輪を外して逃がしてあげたと言われています。
この犬たちはその後、西郷隆盛の没後に捕獲され、船で神戸まで運ばれて助かりました。
西郷隆盛が連れている犬について
西郷隆盛が連れている犬について詳しく知らない人のために、ここからは犬について深堀していきます。
犬種は薩摩犬
西郷隆盛が愛していた犬は薩摩犬(さつまいぬ)です。
薩摩犬とは、鹿児島県原産の犬で、泳ぎが上手なことから古くからイノシシ猟の猟犬として活躍していました。
西郷隆盛像の横にいる犬の名前は「ツン」という名前の薩摩犬だと言われています。
しかし、実際のツンはメス犬なのですが、像の犬はオス犬です。
なぜ性別が違うかというと、銅像を作ったとき、既にツンは亡くなっていたからです。
そのため、代わりのモデルとして薩摩出身の軍人である仁礼影範が飼っていたオス犬「サワ」がモデルになったわけです。
西郷隆盛が犬を連れていた理由
西郷隆盛が犬を連れていたのにはペットとしての愛情以外にも理由がありました。
ここでは、西郷隆盛が犬を連れていた理由を紹介します。
きっかけはダイエット
犬を連れて歩いていた理由はダイエットのためと言われています。
運動不足と甘い物好きが重なり、ドイツ人医師のホフマンから肥満と診断されてしまったのです。
そして、ホフマンから運動するように指導された西郷隆盛は、犬と一緒に山歩きやウサギ狩りをするようになりました。
このときに連れていたのが愛犬ツンだと言われています。
犬と一緒に歩くのは毎日の日課
こうして、愛犬ツンと山歩きや狩猟を楽しみ、ダイエットに成功しました。
ダイエットは1人だとモチベーションが上がらず挫折してしまうこともあります。
西郷隆盛は犬と一緒に楽しんだり、時には励まされたこともあったかもしれませんね
西郷隆盛は犬を愛するスーパーヒーローだった
西郷隆盛は、当時犬を猟犬として見ている人がほとんどだったなか、愛する「家族」として愛情深く接していました。
その様子から、犬まで銅像になったほどです。
西郷隆盛にとって犬は、現代の私たちと同じように、大切なパートナーであったり、癒してくれる存在だったのかもしれませんね。